答えはいつも…シンプル〜!
本を読み終わった時に、
「あ〜面白かったなぁ、特にあそこは良かった、さっそく実践してみよう。」
という時と
「んー…結局何だったんだ?どこか読み飛ばしたか?」
なんて時があります。
私の場合、ものすごい集中力を使わないと本を読めません。もちろん文字を追うことはできますが、本当の意味での読書はできないわけで…。
しかもその集中力は自在にコントロールできないときた。全くもって読書に不向きな体質なわけです笑
生活の中で読書をするという決まった時間は特に設けておらず、読みたいと思ったら全てのタスクを追い越し、読書が最優先事項になります。いつその発作が出るかわからないため、常に一,二冊本は持ち歩いているんですよ。
もっとも、電車に乗っている時間に発症しやすいことがわかっているので、通学中、30分のまとまった時間が私の読書タイムなわけです。
すこし脱線しましたが、本を読み終わった後に得られる幸福感の差の原因は何でしょうか。先ほども述べたように、集中はしているので、流し読みが原因とは考えにくい…。
…な〜んて考えながら歩いて帰ってきたんですけど笑、その原因がわかりました。
同時に何冊もの本を読んでいるから。
えぇーシンプル〜!
同じ作者の別本も同時に読んでいるわけですから、情報がこんがらがるのも当然です。
以前記事にもしましたが、同時に本を何冊も読むことを私はおすすめしています。しかし!私のように悪影響が出る場合はやめた方がいいかも、、?
ありがとうございまーした!
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「読みたい時に好きなだけ読む」
「読みたい時に好きなだけ読む」
これが私の読書術。
私が読書を好きになった要因はとてもシンプルなものです。
元々私は読書が好きな方ではありませんでした。その理由は、文字の情報、つまり目から情報を得るのが好きではなかったからです。直接人に聞くのが好きでした。何か気になったことがあれば、ネットで調べるよりも先に人に聞いていました。
(小さい頃は母がよく話相手をしてくれたものです。まぁ今でもしてくれますが笑)
しかしある時から私は、耳から情報を収集するのが苦手になり、文字での情報収集を好むようになりました。最初はネットでブログやまとめ記事なんかを読んでいましたが、家の本棚にあった本に手をかけたあたりから、私の読書好きは始まったのだと思います。
また読書が嫌いだった理由は、最近になってわかりました。
それは次のような固定概念が邪魔をしていたからです。
・本は最初から通して読まなければいけない。
・いま読んでいる本を読み終わらないと次の本を読んではいけない。
この考えをぶち壊してからは、本を通して読むのではなく、タイトルと目次だけに目を通し、面白い箇所だけを読んで、すぐに次の本へ移る。
こんなことをしていました。
それともう一つ、同時期に何冊もの本を読むということをおすすめします。読んでいる本に飽きることがありますが、そんな時に別の本を読むと、続けて読むことができます。ちなみにわたしはいつも四,五冊くらいを同時期に読んでいます。
読者は人それぞれ求めているものがあってその本を読んでいて、その求めているものは違うわけですから、最初は自分がほしい情報だけを見つければいいんです。慣れてきて通して読んでみると、自分が省こうとしていた箇所に答えがあったりしてまた面白いですから笑
ちなみに今回私の読書術には一切触れていませんが、、
えーと、それままた今度…
sそそれではよい読書ライフを〜
追記(18/7/10)
この記事で読書術に触れています。
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、、、えぇと。
いきなり取り乱してすみません。感受性が豊か過ぎるため溢れ出てしまいました。
さて、今日は「習慣」について記述していこうと思います。
そもそも人間は、生活のどれくらいを習慣的行動が占めていると思いますか?
よく人生の33%は寝ていると言われていますが、
実は習慣的行動は、45%だと言われているんです!
「おい残り22%しかないぞ…」
そうなんです。しかし、その約半分を占める習慣的行動を、操作できるとしたら、魅力的じゃないですか?
習慣をつくりだすのは難しいことではありません。
われわれ人間の脳というのは、大きな変化を嫌うんですね。だから習慣化して、できるだけエネルギーを使わないようにするんです。
そんな面倒くさがりな脳に一番効くのは、小さな変化。
飛躍を試みると、それが脳にとって大きな負担となり逆効果です。
まずは脳を麻痺させます。一番小さなことから始めて、生活に変化が起きたことを感じさせないことが目的です。
慣れてきたら少しずつ変化を加え、理想の習慣に近づけていきます。
例えば英語の勉強をしたい人。
電車に乗ると、ピカピカの参考書の10ページ目くらいを広げたまま寝ているサラリーマンがいますよね。急に始めてしまうと、最初はよくてもすぐに脳が拒否反応を起こします。
私の場合、最初に始めた小さな変化は、参考書を触ることでした。本当です笑 次に目次を読み、三日目にしてようやく外に持ち出しました。外で勉強を始めたのは、初めて触ってから一週間が経つ頃だったでしょうか笑
大切なのは、小さく、コツコツ、です。
まあまずは、三日坊主である自分を受け入れることからですかね~
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わかりやすい例をあげて解説します。
学生時代に定期テストで失敗した経験はありませんか?
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皆さんあると思います。
これは以前インターネットライブで、メンタリストのDaiGoさんが仰っていたのですが、とても感心し、以降自分のことばのようにしています。
人生はゲームのようである。資本主義という設定の世界で、人生ゲーム(ボードゲーム)のように考えるべきだ。
お金をたくさん稼ぐこと=資本をたくさん所有していること はなにも偉いことではない。ただよりゲームを快適に、より楽に進めることができるだけである。
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これと同じく、上手くいかないこと、失敗したことがあってもそのくらいに考えればいい。
そうです。自分を責め、否定し、自身に負荷をかける人ほど完璧主義になって、やるべきことを先延ばしにしてしまうにです。失敗したっていいじゃないですか。完璧じゃないから完璧主義になるんですよ。完璧な人なんていません。
私はこの言葉を聞いてとても楽になりました。手を抜くわけではなく、力を抜く。もっと楽観的に生きるべきだったのです。
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結論から申し上げますと、人間は「知的好奇心」を原動力に動いていると思っています。
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充分な動機じゃないですか。だからこの記事を見ている。一歩どころかその両足で歩き始めていますよ。
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しかし今回は愚痴大会ではありません。一人の人間が五月病と真っ向から向き合い、真剣に解決策を導き出して行く物語です。
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